慶應義塾

松井 治右衞門(成樹):創業300年の京都の酒造りで目指す「伝統と革新」

公開日:2026.06.15

登場者プロフィール

  • 松井 治右衞門(まつい じえもん)(成樹(しげき))

    松井酒造15代目当主法学部 卒業法務研究科(法科大学院) 卒業

    塾員(2002法、06法務修)。2006年松井酒造入社。伏見での修業を経た後、2018年代表取締役社長に就任。15代目松井治右衞門を襲名。

    松井 治右衞門(まつい じえもん)(成樹(しげき))

    松井酒造15代目当主法学部 卒業法務研究科(法科大学院) 卒業

    塾員(2002法、06法務修)。2006年松井酒造入社。伏見での修業を経た後、2018年代表取締役社長に就任。15代目松井治右衞門を襲名。

  • インタビュアー:井田 良(いだ まこと)

    名誉教授

    インタビュアー:井田 良(いだ まこと)

    名誉教授

創業300年を迎えて

──松井酒造は今年創業300年を迎える京都の造り酒屋の老舗と伺っていますが、これまでどのような歴史を歩まれてきたのでしょうか。

松井

1726(享保11)年創業ですが、元々は京都ではなく、現在の兵庫県北部の香住町で酒造りを行っていました。かつて、現地の集落で水飢饉が起こった際に、初代・松井治右衞門が井戸を掘り当て水飢饉を救い、その水で酒造りを行ったことが松井酒造の始まりだと言われています。

──京都にはいつ頃来られたのですか?

松井

江戸時代後期です。京都の中心部、河原町三条に酒蔵を構えたのですが、大正時代に市電の開通に伴う道路の拡幅工事により、現在の左京区吉田に移転しました。

ところが、今から50年ほど前、近隣で地下鉄の工事があり、井戸水が使えなくなりました。しばらくは同じ境遇の酒蔵が集まり、合同会社を作って協力しながら製造を続けていましたが、先代である父が蔵の復活を志し、新しい井戸を掘り、2009年に復活しています。そのため、私も2006年、塾の法科大学院を修了後、実家に戻り、伏見で酒造りの修業を始めたのです。

──松井治右衞門という名前は、歴代の当主が代々名乗ってきたものですね。

松井

はい。私が15代目になります。

──大学在学中から、ゆくゆくは酒造りを継ぐのだ、という気持ちは持っていたのでしょうか?

松井

いえ。当時はまだ酒造りが復活するかどうかもわからなかったため、自分の興味があった法律の勉強をしていました。大学院修了間近になり、自分の将来について悩んでいた頃、ちょうど復活の話が持ち上がり、父が声をかけてくれて実家に戻ったのです。

義塾で得た繋がり

──お父様の第14代当主、松井八束穂(やつかほ)さんも慶應義塾のご出身。また、法学部で長い間、政治学を講じられ、私も授業を受けた教授として多田真鋤(ただますき)先生は、八束穂さんのお兄さまです。

松井

伯父は晩年、鎌倉の稲村ヶ崎に住んでいたのですが、その頃もずっと私の大学生活のことを気にかけてくれていました。

当時、私は1人暮らしをしていたのですが、「お風呂をきれいにしたから入りにおいで」と言ってくれて、夕飯をご馳走してくれたこともよくありました。江ノ電に乗って家に遊びに行ったことを覚えています。

法学部出身の方は、「多田真鋤の政治学」と言うとご存知の方も多く、それがきっかけで色々なコミュニケーションが生まれることも多いです。伯父からは亡くなった後も、いまだに助けてもらっているような気持ちになることがあります。

卒業、伏見での修業時代

──大学院修了後、すぐに伏見の酒造会社で修業されたとのことですが、いかがでしたか?

松井

伏見では黄桜さんで修業をさせていただきました。黄桜の松本真治(まつもとしんじ)社長(当時)は塾の先輩でもあり、父の口添えもあって、受け入れていただきました。

はじめは、色々と戸惑うことも多かったです。それまで私がいた世界とは全く違っていて、酒造りだけではなく、基本的な掃除の仕方から勉強させていただきました。

──修業を終えて、松井酒造に戻られてすぐ酒造りに携わることができたのですか?

松井

いえ。黄桜さんで勉強させていただき、2009年に戻ったのですが、最初は能登の酒蔵から現場の最高責任者である杜氏さんに来ていただいて、3年間、その方の下で修業をさせていただきました。酒造りは朝早い仕事が多く、杜氏さんは4時ぐらいに起きて作業を始められるんです。当初私が起きた頃には、もう朝の作業を全部終えられていた。これでは駄目だと思い、杜氏さんが寝泊まりしている部屋の前に寝袋を敷いて、私を起こさないと仕事を始められないようにしました(笑)。

本当によく叱られましたが、その経験があったからこそ、様々なことを早く身につけることができたと思っています。

その後、独り立ちしてからは10年間、1人でお酒造りをしていましたが、徐々に社員も増えてきて、今は彼らが立派にお酒造りをしてくれているので、若い人に任せ、私は今、出張して営業することができています。

お酒造りの極意

──料理だと、材料や作り方をまとめた、いわゆるレシピがありますが、酒造りにもあるのですか。

松井

一応、このお酒はこの材料を使って、こういう仕込み配合で造っていく、というものがありますが、やはり微生物相手の仕事なので、こちらの思い通りには動いてくれません。

日本酒の造り方は他のお酒と比べても独特なんです。例えばワインは日本酒と同じ"醸造酒"で、穀物や果物を酵母の力でアルコール発酵させたお酒に分類されますが、この発酵の流れが大きく異なります。

ワインの原料はブドウですが、ブドウには糖分が多く含まれているため、酵母を加えればそのまま発酵が進み、ワインになります。

一方、日本酒はお米を原料としているので、ブドウに比べ、糖分が多くない。そのため、お米のでんぷんをいったんブドウ糖に変えるひと手間が必要になってきます。

そこで必要となるのが麹(こうじ)です。麹の力でお米のでんぷんがブドウ糖に変わり、そのブドウ糖を栄養にして酵母がアルコールを造っていくという、2段構えの変化になります。

つまり、原料から製品になるまでの距離が遠いお酒で、その工程において蔵で色々な工夫が施される。そこが手間でもあると同時に様々な特色が出るので、面白い点でもあります。

──なるほど。今は若い方が中心に皆で意見を出し合いながら造られているのでしょうか?

松井

そうですね。今は皆で話し合いながら、「今年の米はこうだから、今回はこういう仕込み配合でやってみたら」など、社内でコミュニケーションを取りながらお酒造りに取り組んでいます。

京都の町中でお酒を造る意味

──京都という土地柄、酒造業者としては、お寺や神社から御用達を拝命することが信頼と品質の証しになるのでしょうね。

松井

旧京都市内(洛中)と言われるエリアでは弊社が一番古い酒蔵になります。そういったご縁もあって、臨済宗相国寺派の総本山、相国寺(しょうこくじ)より御用達をいただいています。

相国寺は同志社大学の北側にあり、松井家の菩提寺なのですが、金閣寺と銀閣寺を塔頭(たっちゅう)(配下)にもっているんです。そのため、金閣寺、銀閣寺とは深い繋がりがあります。それから京都大学のすぐそばにある吉田神社や貴船神社からも、同じく御用達をいただいています。

──色々な行事の際に注文をいただいたりするのですか。

松井

そうですね。例えば金閣寺ですと、金箔を張り替えられた時、落慶(らっけい)法要というのですが、そういった時や、管長様が交代される時に、お酒でお祝いをしてくださったりします。

──以前、お伺いした時、本当に町の真ん中に酒造があって驚きました。京都の町中という場所ならではのお酒造りの難しさがあるのではと思うのですが。

松井

やはり銘酒と呼ばれるお酒を造る酒蔵は環境が良く、良いお水があることが条件になります。都市部でお酒造りをするとなると、どうしても開発と隣り合わせになるため、そこでのお酒造りの難しさを、われわれは身をもって知っています。

うちと同じく、京都の町中で酒造りを行っている酒造はいくつかありますが、やはり伝統産業なので思い切った設備投資はできない。私が蔵に戻った時、最初に取り組んだのが太陽光発電でお酒を造ることでした。

環境保護の取り組みという点から、どうしても導入したかったのですが、景観条例で道から太陽光パネルが見えてはいけないというルールが京都にあり、屋根の上の見えないところに設置することで、条件もクリアしました。

お酒を造る場所だけを町の外に持っていくことを考えたこともあります。ただ、松井酒造のご先祖は「ここの水がいい」と思ってこの場所を選んだ。そうした先人の想いを受け継いで、何とかここで復活をしたい、というのが父の想いでした。今後も今の場所でお酒造りを続けたいと考えています。

「伝統と革新」を実現するために

──松井酒造のテーマは「伝統と革新」とのことですが、このテーマを実現するために、どのような取り組みをされているのでしょうか。

松井

今、うちはビルの1階でお酒を造っています。京都の酒蔵というと、白壁があり高い煙突が立っているところを想像される方が多い。そのため、「こんなところでお酒を造っているのか」とがっかりされることは容易に想像がつきました。

では、「ここでしかできないお酒造りとは何か」と考えた時、温度管理や衛生管理といった、品質にダイレクトに関わってくる点を徹底的に管理する。そこだけは他の酒蔵に負けないよう、設備を整えようと思ったんです。

──データを元に、お酒造りをブラッシュアップするのですね。

松井

はい。うちのお酒のボトルのキャップには、弊社のロゴマークが描かれていて、松にツタが絡まっているデザインになっています。これはうちの伝統をイメージしているんです。さらにその松の右斜め下に、アルコール発酵を表す化学式が入っているのです。

イベントに出店する際に着る法被(はっぴ)の袖の部分にもこのアルコール発酵の化学式が書いてあります。これは私自身の「サイエンスに重心を置くぞ」という思いの表れなんです。

海外のお客さまで化学の素養がある方だと、日本語はわからなくても、この化学式を見ればお酒を造っているんだとわかってくれるんです。

──世界共通語というわけですね。

松井

そういったサイエンスを使いながらお酒造りをするというのはとても大切なことだと思うんです。

ただ同時に、どれだけサイエンスが進んでも、伝統的な手づくりがデータに勝る場面もあるんです。そのため、どこまで伝統を守って、どこから自由に枝葉を伸ばしていけるかというところを見極めることは、非常に重要だと思います。

海外への進出

──以前、ドイツの連邦大統領、ホルスト・ケーラーさんにお会いした際に、松井酒造さんのお酒をお土産としてお持ちしたのですが、大変喜ばれました。今、海外でも日本酒が非常に人気のようですが、海外進出についてはどのようにお考えですか?

松井

最近は日本食がブームを通り越し、1つの食文化として海外でも根付き始めています。海外では、その国の料理にはその国のお酒を合わせよう、というマインドをお持ちの方が多い。

そのため、国内の限られたパイを他の酒蔵と奪い合うより、新しい海外市場の開拓に力を入れています。今は東南アジアやアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアを中心に売上が伸びています。

──現地のコンクールにも参加していますよね。2021年にパリで開催されたフランスの和酒コンクール「Kura Master」では「神蔵KAGURA」が純米大吟醸酒部門のプラチナ賞を受賞されています。

松井

輸出先で開催されるコンテストにはできるだけ出品しようと思っています。そこで何か賞をいただければ、現地で販売する際にも、地元のお店で取り扱ってもらいやすくなるからです。

──今後現地でお酒を造る可能性もあるのでしょうか?

松井

なくはないですが、今はそれ以上に「京都で造られたお酒」ということを強みにしていきたいと思います。

京都のお酒というのは「京都の水」を使ったお酒のことだと思うんです。京都の水は軟水で、少し甘さがあって柔らかく香り高いのが特徴です。そのため女性的なお酒、「女酒」と昔から言われています。こうした地域の特性を全面に押し出して、お酒の良さをより多くの方々に知ってもらいたいと思います。

慶應義塾で得たもの

──松井さんは法学部時代、私の刑法のゼミに所属されていました。法科大学院でも学ばれたわけですが、慶應義塾で学んだことは今の仕事にどのように役立っていますか。

松井

大学での思い出となると、やはり真っ先に思い浮かぶのは井田研究会なんです。友人たちの顔や、ゼミの真剣な雰囲気は今でも覚えています。

ゼミでは、自分がきちんとわかっていない、耳触りのいい言葉をむやみに使うと、先生は「よろしくない」と思っていると感じていました。

それは今の仕事にも生きていて、例えば仕事柄よく「伝統」や「手づくり」といった言葉を使いますが、これってそこで思考が止まってしまう言葉でもあるのです。

よくお客さまから「何でこういう作業をするんですか」と聞かれるのですが、その際に「これはうちの伝統なんです。昔からずっとこういうやり方でやっているんです」と言うと、そこで会話が終わってしまいます。

──一見、聞こえがいいですが、思考停止になってしまっていると。

松井

ですから、「伝統というのはどういうことなのか」「手づくりはなぜいいのか」といったことは言語化したい。「手づくりとはぶれないことではなく、変動する条件に対応して情報量の多いお酒を造ること」と言い換えることが大切だと思っています。

伝統についても、オーストリアの作曲家のマーラーは「伝統というのは火を後世に継ぐことであって、灰を崇拝することではない」と言っています。それは私の中ではすごく響く言葉で、「新しいことを繰り返し、どんどん変わっていくことによって、変わらないものができあがる。それがうちのお酒造りの伝統です」と今ならば答えられる。それはきっと井田ゼミで学んだマインドのお蔭だと思います。

──お役に立てていたなら何よりです(笑)。ゼミの方々とは今でも交流があるのでしょうか?

松井

今でも京都に遊びに来てくれたり、酒蔵に足を運んでくれたりする友達も多いんです。

その時の御縁で、毎年9月に行われる「美酒早慶戦」にも参加させていただいています。これは早稲田・慶應ご出身の酒蔵の日本酒を、両校ご出身のお酒好きの皆様が飲み比べて投票し、蔵別順位と大学別順位を決するというものですが、こうしたイベントに参加できるのも、まさに塾での繋がりがあったからですね。

──慶應義塾で培った絆が、松井さんを支えているのですね。松井さんはゼミの自己紹介で「熱くなることが自分の長所であり、短所である」と書いていました。お話を伺って熱くなって酒造りに取り組む松井さんの姿が目に浮かぶようでした。本日はどうも有り難うございました。

(2026年4月13日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。